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「残像に口紅を」筒井康隆

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2月4日の朝日新聞の読書面「売れてる本」に『残像に口紅を』が取り上げられた。
書評を読んで興味を惹かれ、早速、図書館の蔵書検索をした。
利用する図書館の一方は蔵書なし。他方は既に予約人数が50を超していた。
昨年11月のテレビ番組でカズレーザーが紹介し、ブレークしたという。

蔵書なしの図書館で予約して1番借りできたのは幸せ。
奥付で 1995年4月18日 初版発行 2017年12月30日17刷発行を確認する。
カバーの著者紹介の写真の筒井氏の若さに驚く。

書評で好奇心をくすぐられていたが、とにかく面白い!

序盤、小説手法が披露される場面では筒井氏の小説論や言語学的見地も窺えて興味深い。
「記号としての言語が表現する意味内容なんて、実にいい加減なもんだ」
「なんで半濁音なんて言うんだろうね。やはり裂音とか破裂音とか言うべきじゃないか。」

そして、この本の魅力を倍増するのが、山内ジョージのイラスト。
失う音を含む動物の身体の一部を成すカタカナが消失するイラストが抜群のセンス。
文字の多い絵本と捉えても良いほど、このイラストの果たす役割は大きい。
早速、山内ジョージも図書館の蔵書のうち
「よめるカナ」(愛育社)と「動物どうぶつABC」(ほるぷ出版)を予約した。

そしてもうひとつ魅了の素は神戸が舞台として登場すること。
仕事場は阪急御影近くのマンション。
自宅は神戸市垂水区舞子。
馴染の地名が親近感を抱かせる。

文字(音)制限が進むにつれて、筒井氏の言葉の才覚に感嘆する。
消失文字が30を超えたところで行われる講演の凄さ!
対比されるは、襲い掛かってくる語彙の貧弱な「馬鹿モノ」。
だが一般人のレベルはこちらだろう...。

筒井氏の飛び抜けた言葉センスは、更なる過酷な制限の中で自伝を描く。
氏のトラウマが消失文字をかいくぐって滲み出てくる。
そのように濾過されたトラウマが読者の心を打つ奇跡的な技!

巻末には、泉麻子、水谷静夫による音分布の調査報告がある。
1988年の中央公論に「残像に口紅を」が連載された折り連載第一回で、
水谷静夫東京女子大学教授(当時)は研究対象としての面白さを見出したという。
学生に小説を紹介し、泉麻子が卒論にまとめたものだ。
小説内で「読者に懸賞」企画が出るが、巻末への掲載は懸賞にふさわしい。

※ この素晴らしい本を紹介してくれた朝日新聞の書評を備忘録として残す

■喪失が生む小説の可能性

30年前、筒井康隆さんは本書と名作『文学部唯野教授』を同時期に連載していた。
2作品に共通する濃密さを思うと、想像するだけで気が遠くなる。
昨年11月に都内の筒井さんの邸宅で対談した際、そのことについて触れると
「胃に二つ穴が開いて入院したね。1作品につき一つや」と笑い飛ばした。

実際、本書には胃に穴が開くほどのルールがある。
主人公は小説家の佐治勝夫で、自分が小説の登場人物だと理解している「メタフィクション」の設定。
物語が進むごとに音(おん)が消えていくのだが、
例えば「あ」がなくなれば本文中に「あ」の音が使えなくなる。
これは「リポグラム」という手法の一つで、
海外ではジョルジュ・ペレックの『煙滅』が有名。

だが、本書の凄みは「なくなった音を含むもの」も消滅してしまうところにある。
最初に選ばれたのは「あ」なのだが、すぐに消えたのがご存知「朝日新聞」。
夫を「あなた」と言えない佐治の妻は「もしもし」と話し掛け、
「せ」なき後、編集者は作家を「先生」とは呼べない。
この言い換えに戸惑う佐治の様子も面白いが、一方で喪失を悲しむ表現も実に巧みだ。

佐治の3人の娘たちは、1人ずつこの世界からいなくなる。
まだ高校生の三女が消えたとき、佐治は微かな記憶を頼りに思う。
「その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう」。
そうして涙する父親の姿は、この物語の核心を突く象徴的なシーンだ。

書棚から本が消え、番号を失って電話もかけられない。
そうして少しずつ閉ざされる世界で、佐治は孤独を味わう。
しかし、失ったからこそ得るものもある。
佐治は「新しい文体」を手に入れ、妻がいなくなったことで新たな恋にも目覚める。

31の音を失った時点での長い講演のシーンは圧巻。
途中から作者と並走するような感覚に陥り、読後の達成感は大きい。
小説の可能性を追求し続ける筒井さんの執念が生んだ物語だ。

 塩田武士(小説家)



by lazygardener | 2018-03-07 22:17 | | Comments(0)