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次の連載小説に期待

朝刊に、「次の連載小説は多和田葉子さん」と紹介されていて大喜びしてる。
しかも挿絵は絵本「オオカミ県」で美しい絵を披露した溝上幾久子さんとあれば、さらに期待で胸が膨らむ。


連載小説のタイトルは「白鶴亮翅」。
(はっかくりょうし)と読み、白鶴が翼をサッと広げる様を表す言葉だと知ると、鶴の華麗な求愛ダンスを思い浮かべる。
が、紹介記事に「太極拳の教室で出会う様々な人種の人との交流」と書かれていることから、太極拳の技法とよむ方が相応しいのかもしれない。太極拳の白鶴亮翅の優雅な腕の動きを伴う武術は舞のよう。試みに「舞術」と検索すると、人民中国の2018年の趙梁氏演出の舞台紹介記事が現れた。
武術から舞術へ。さて、多和田氏は、どのような文術を見せてくれるだろうか?

溝上氏の素敵なタイトル字を見ながら、2月1日の幕開けを楽しみにする。

次の連載小説に期待_a0000692_09061087.jpg







# by lazygardener | 2022-01-21 08:00 | | Comments(0)

今年、歳神さまを我が家へ迎えるしめ縄飾りやお正月飾りを担っているのは庭の草木。

ホスト役の主格はセンリョウ。庭に植えてから10年を超えるが、実を楽しむのは初めてのこと。昨年11月末頃から赤く色づいてきた実がヒヨドリのごちそうにならないようにネットで覆って保護しておいて、年末に切った。



しめ縄には松と稲穂と共に、センリョウの葉を束ねた。センリョウの実と椿は造花。しめ縄飾りに数年前から造花を挿しいれてるが、朝日新聞のSDGs#kansaiの剣菱酒造の記事を読んで、歳神さまへの失礼な振る舞いであることに気づかされた。「正月飾りに樹脂製品が増え、どんど焼きにできない」という言葉に、ハッとした。「歳神さまを送る行事は、ただの焚火ちゃうやろ」と菰だるに樹脂縄を使うことに違和感を抱いたという剣菱酒造の社長の感性に心を打たれた。我が家を訪れた数年来の歳神さまに失礼を詫びると共に、来年以降の歳神さまには、どんど焼きで送ることができるよう、しめ縄飾りには自然素材と紙製品を用いるようにしようと思っている。


リビングの窓辺には、12月の寒空に負けず丈高く育っていたフウセントウワタを添えてセンリョウを生けた。紅白のガーデンシクラメンと共にお正月飾り。普段着のおもてなしだが、小正月まで、歳神さまと共に過ごす空間であることを意識して、せめて掃除だけは、きちんとしようと思う。


庭の草木で歳神さまを迎える_a0000692_16180526.jpg


# by lazygardener | 2022-01-10 16:23 | 暮らし | Comments(0)

クリスマスを待ちながら

クリスマスまで、2週間を切った。

朝からシュトーレンの生地作りをして1次発酵中に、散策に出かけた。小春日和の温かな陽ざしに包まれながら青空に映える色づいた樹々を見ていると、今が12月であることを忘れてしまいそうになる。真っ赤に色づいた葉の中で咲くツツジ、大きな黄色い葉に埋もれるように咲くソシンロウバイの花、ピンクの実が可憐なマユミ等に惹きつけられる。足元の落ち葉を靴先ですくい上げてカサコソと音を立てて歩く幸せなひと時。


散策から戻ったら、シュトーレンの発酵が順調に進んでいるのを確かめて、ドライフルーツのラム酒漬とアーモンドを混ぜ込んで成型して2次発酵。焼いてバターをコーティングしてグラニュ糖をまぶし、粉砂糖をふりかけたのは寝る直前。合わせ目が後退して不細工に仕上がったものもあるけれど、寝相が悪かったのね…と、やり過ごす。一つずつラップにくるんで熟成を待つ。来年のシュトーレンの為にドライフルーツと洋酒(ラム酒を切らしていたので今年はブランデー)を継ぎ足しておく作業も何だか嬉しい。シュトーレンを焼くようになって8年目。だんだん、おせち料理のような存在になってきた。

クリスマスを待ちながら_a0000692_08391542.jpg

庭木の剪定作業で開始する我が家のクリスマス準備。リースやガーランドを作ったり、クリスマスツリーを仕立てたり…。
6年前まではIKEAのモミの木ツリーの販売日がクリスマス準備開始日だった。が、庭木が大きく育ってきてからは、我が家のコニファーの剪定枝に代役を委ねるようになった。「大きくなったね」「ありがとう」「いい香り」と剪定枝に心の中で語りかけながらの作業が楽しい。剪定枝の活用は、お財布にも環境にもエコ。おまけに庭木の状態を観察するのにも良いチャンス。今年は全く問題無かったが、毛虫の多い年、カメムシの多い年などを知るきっかけにもなる。






今年は、強剪定したアベリアやティーツリーもクリスマス飾りに加えた。ヒイラギの花の開花が早かったのでクリスマス飾り開始時には大活躍。小菊の花期が長いのを嬉しく思いながら庭から大量に摘み取ってきたり…。と、オーナメント類を出すのを全く忘れていたが、「ま、こんな素朴な飾りもいいよね」と、半分しか点灯しなくなったクリスマスライトだけのツリーに語りかける。「キレイに飾り付けて欲しかったのに」とコニファーは嘆いているかもしれないけれど…。




# by lazygardener | 2021-12-12 06:55 | 暮らし | Comments(0)

語りなおしシェイクスピアの第3弾は「じゃじゃ馬ならし」をアン・タイラーが語り直した「ヴィネガー・ガール」。
上質のヴィネガーソースを添えられることによって、シンプルな料理が極上の料理に仕立て上げられた一皿のような作品で、スカッと爽やかな癖になりそうな味わいの良さに魅了された。

スカッと爽やか!「ヴィネガー・ガール」_a0000692_08421558.jpg

巻末には「じゃじゃ馬ならし」のあらすじ、訳者(鈴木潤)あとがき、北村紗衣の解説が並ぶ。そこで原作がいかに、食えないものであるか、そんな素材を逸品に仕立てたアン・タイラーの手腕が絶賛される。

先ずはシェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」を読んでから...という失敗を犯してしまった私は、「何これ?」と戸惑った。喜劇といっても、ドタバタ劇で何を面白がるのか理解できない。酔っ払いを貴族だと思い込ませる悪戯も、劇中の芝居「じゃじゃ馬ならし」も、人格を無視して品がない。口調がきつくて気性が荒いと思われている姉娘をもてあまし、資産目当ての求婚者に嫁がせる父親。強引な手法で夫の言いなりになることを余儀なくされる…。こんな物語をどう語り直すのだろうか?と、こわごわ「ヴィネガー・ガール」を読み始めた。

表紙カバーの紹介文:
ケイトは、率直な物言いが世間に受けない29歳。エキセントリックな科学者の父と、15歳の妹の三人暮らし。植物学者を目指していたこともあったが、今はプリスクールで教員アシスタントをしながら家事を切り盛りしている。ブロンド美人で夢見るような表情を浮かべている妹は男子にもてるが、ケイトにはいまだに恋人がいない。そんなある日、父が、外国人の優秀な研究助手ピョートルの永住権を獲得するために、とんでもない提案をもちかけてきた……。

科学者の父は優秀な研究助手ピョートルを手放したくない一心で彼に永住権を与えるため、娘ケイトとの偽装結婚を企てる。ケイトは14歳で母を亡くして以来、父のルールに従いながら妹バニーの面倒を見、家の切り盛りをしてきた。ピョートルも飄々としているが、両親を知らない孤児院育ち。母国を離れて言葉のバリアもあり、天涯孤独の身。

父の思惑を知って怒り心頭のケイトに謝るピョートル。このやり取りが原作「じゃじゃ馬ならし」を揶揄する。
「強欲だし、自己中だし、人をばかにしてるし……卑劣だよ」
「あは!じゃじゃ馬だ」
「え、トガリネズミ?どこどこ?」
シェイクスピア書き直しという意味で、作品中の最重要箇所とも思える二人のやり取り。
「じゃじゃ馬ならし」の原題"Taming of the Shrew"に由来するコミカルなやり取り。shrew:トガリネズミが「じゃじゃ馬娘」の隠語であったことによる。翻訳するのが難しかったとみえ、じゃじゃ馬とトガリネズミにシュリューとルビを施すことによって、やり過ごされている。

ケイトが結婚すると知らされたプリスクール<ルーム4>(4歳児クラス)の子どもたちの反応がキュート!殊にサムソン兄弟の「じゃあ僕ら誰と結婚すればいいんだよ」…ケイトの魅力が伺える煌めく賛辞のような言葉に胸がキュンとなる。

作品タイトル、ヴィネガー・ガールの登場場面も素敵。
ピョートルが、多くの男の子を魅了するバニーに魅力を感じていないことを示すため、母国のことわざを持ち出す。
「優しい人間には気をつけろ。砂糖は栄養がない」
「わたしの国ではこう言うけど。「蜂蜜のほうが酢よりも多くの蠅を捕らえられる」」
と言うケイトに、返すピョートルの言葉が、最高にスイート!
「だけど蠅なんか捕らえてなんになる、ん?答えてみて、ヴィネガー・ガール」
この箇所では、優しいにスウィート、砂糖にシュガー、蜂蜜にハニー、酢にヴィネガーのルビが振られている。

バニーの存在も助演賞級。ティーネージャのバニーの反抗的な態度が描かれることで、物語の登場人物たちが現実味を帯びる。父のルールに反抗し、父の言いなりに見える姉に意見するバニー。そしてピョートルがバニーに濡れ衣を着せた時には、ケイトが断固、撤回を要求する。そんなふうに家族間の不満と結びつきが、うまく表現されている。

偽装結婚で始まったケイトとピョートルの行方はエピローグで明らかに…。



# by lazygardener | 2021-12-06 08:45 | | Comments(0)

2011年の東北大震災による大津波に命を奪われた人々への鎮魂、そして原発事故によって今も帰還できずにいる人々に心を寄り添わせる物語。

大震災から10年。時間的距離が遠ざかっていくにつれ、被災者と被災を免れた者の温度差が広がっていく。本書は帰ることができない人々への思いを描く。鎮魂の思いを呼び覚ましてくれた本書への敬愛を込め、読書の痕跡を書き留めておきたくなった。そして何より、この鎮魂の思いを大切に心に留めおくために…。

ゲッティンゲンに住む私が、友人の知らせを受けて、野宮を駅で出迎える場面から物語は始まる。野宮は9年前2011年3月11日に震災で行方不明になった当時、仙台の大学で私と同じ美術史研究室の一員だった。

物語を読むにあたって、ゲッティンゲンの街のことを調べると、大津波に呑み込まれた野宮を出迎える場所が日本でなく、ゲッティンゲンの街であったことが、しっくりくる気がした。ドイツの地理的中央に位置するゲッティンゲンの街には広島原爆の悲惨を忘れないため、Hiroshimaplatzという通りがあり、その一画に Fukushima-Gedenksteinという福島追悼碑にはFUKUSHIMA 2011…NICHT VERGESSENと、「福島の原発事故を忘れない」という誓の言葉が刻まれているという。翻って当事国の日本で原発が何食わぬ顔で存続する浅ましさは、まるで「東北大震災を忘れよう」と宣言しているようなものだ。被災者への思いが軽んじられている日本よりゲッティンゲンの街に姿を現す野宮の選択に合点がいった。

コロナ禍によるマスクに覆われた顔、国境封鎖、ロックダウンなど、世界に共通する2020年の夏の情景が、くっきりと描かれることによって、地理的、時間的距離のある2011年3月11日の東北が、現代を生きる人々にしっかりと結びつけられる。

石巻で津波に呑まれた野宮一家。野宮との邂逅をきっかけに私は震災の記憶を手繰り寄せる。当時、仙台にいた私は被災者の一人ではあるが、壊滅的な被災者との間には大きな隔たりがある。〈津波が届くことのなかった場所〉〈海も原発も関わらなかった場所にいたこと〉に狼狽える私。

 言葉と感覚の距離感は、わたしの中でも渦巻いている。「戦争」「空襲」「噴火」などの言葉に対して、私は感覚を伴うイメージがあるわけではない。「津波」にしても私は感情的にこのこの言葉と結びついている気がするだけで、実際のところ画面越しにしか見てない。

そんな自分の記憶は、感傷で距離を測り間違えていると、渦中の人には映るのではないかと動揺する。

 あの時間の向こうに消えた人々の記憶を、どのように抱えてゆけばよいのだろうか。名前が擦り切れるまで、記憶の中でなぞるしかないのか

やがて私の背中に歯が生える。言葉に対する強迫観念の現れのように…。

いろんな立場を思い浮かべると、言葉にすることが難しくなる大震災の記憶。そんな揺らぎを、野宮や、かつて月沈原と表した寺田寅彦の登場、惑星の小径が配された街中で数年前に移転された冥王星が元あった場所で蘇る現象など、時空を超える不思議な舞台で捉える。

登場人物はアトリビュート(attribute)を意識した聖女の名と背景を持つ人々。

ルームメイトのアガータは、乳房を切り取られたシチリアのアガタと重ね合わせられるように、乳がんで自殺した母のことで心に痛みを抱え続けている。ウルスラの家に集まるアグネス、アグネスの母バルバラ、カタリナ、ルチア。それぞれの過去にまつわる持物を地面から掘り起こす、アガータの犬ヘクターは名脇役。

ウルスラの家は聖ヤコブ教会にも似る。ウルスラのマント、一同が集まる「貝の晩餐会」は巡礼者の守護聖人ヤコブと強く結びつく。

ウルスラの読書会で読まれる夏目漱石「夢十夜」を青空文庫で、読めることに感謝。

ウルスラのココアやシナモンがマーブル模様を描くという、お手製チーズトルテは、まるで佐藤初女さんのおむすびのよう!

時空を行き来する螺旋階段のように繰り広げられる物語。壮大な挿絵はアルトドルファー。

図書館での単行本予約では順番が回って来るのに随分かかりそうだったので、今回は文藝春秋9月号で読んだ。文芸雑誌を手にした経験のなかった私に、「文學界」3月号を手にするきっかけを与えてくれた「彼岸花が咲く島」も掲載されている。

「貝に続く場所にて 」石沢麻衣_a0000692_11000605.jpg

が、次に読む時は是非、単行本を開きたく思う。
記憶を言葉にできないようなことに出会った時に、ウルスラの家を訪ねられるように、この本を記憶に留めおきたい。
「貝に続く場所にて 」石沢麻衣_a0000692_11001980.jpg



# by lazygardener | 2021-12-02 09:41 | | Comments(0)