語りなおしシェイクスピアの第3弾は「じゃじゃ馬ならし」をアン・タイラーが語り直した「ヴィネガー・ガール」。
上質のヴィネガーソースを添えられることによって、シンプルな料理が極上の料理に仕立て上げられた一皿のような作品で、スカッと爽やかな癖になりそうな味わいの良さに魅了された。
巻末には「じゃじゃ馬ならし」のあらすじ、訳者(鈴木潤)あとがき、北村紗衣の解説が並ぶ。そこで原作がいかに、食えないものであるか、そんな素材を逸品に仕立てたアン・タイラーの手腕が絶賛される。
先ずはシェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」を読んでから...という失敗を犯してしまった私は、「何これ?」と戸惑った。喜劇といっても、ドタバタ劇で何を面白がるのか理解できない。酔っ払いを貴族だと思い込ませる悪戯も、劇中の芝居「じゃじゃ馬ならし」も、人格を無視して品がない。口調がきつくて気性が荒いと思われている姉娘をもてあまし、資産目当ての求婚者に嫁がせる父親。強引な手法で夫の言いなりになることを余儀なくされる…。こんな物語をどう語り直すのだろうか?と、こわごわ「ヴィネガー・ガール」を読み始めた。
表紙カバーの紹介文:
ケイトは、率直な物言いが世間に受けない29歳。エキセントリックな科学者の父と、15歳の妹の三人暮らし。植物学者を目指していたこともあったが、今はプリスクールで教員アシスタントをしながら家事を切り盛りしている。ブロンド美人で夢見るような表情を浮かべている妹は男子にもてるが、ケイトにはいまだに恋人がいない。そんなある日、父が、外国人の優秀な研究助手ピョートルの永住権を獲得するために、とんでもない提案をもちかけてきた……。
科学者の父は優秀な研究助手ピョートルを手放したくない一心で彼に永住権を与えるため、娘ケイトとの偽装結婚を企てる。ケイトは14歳で母を亡くして以来、父のルールに従いながら妹バニーの面倒を見、家の切り盛りをしてきた。ピョートルも飄々としているが、両親を知らない孤児院育ち。母国を離れて言葉のバリアもあり、天涯孤独の身。
父の思惑を知って怒り心頭のケイトに謝るピョートル。このやり取りが原作「じゃじゃ馬ならし」を揶揄する。
「強欲だし、自己中だし、人をばかにしてるし……卑劣だよ」
「あは!じゃじゃ馬だ」
「え、トガリネズミ?どこどこ?」
シェイクスピア書き直しという意味で、作品中の最重要箇所とも思える二人のやり取り。
「じゃじゃ馬ならし」の原題"Taming of the Shrew"に由来するコミカルなやり取り。shrew:トガリネズミが「じゃじゃ馬娘」の隠語であったことによる。翻訳するのが難しかったとみえ、じゃじゃ馬とトガリネズミにシュリューとルビを施すことによって、やり過ごされている。
ケイトが結婚すると知らされたプリスクール<ルーム4>(4歳児クラス)の子どもたちの反応がキュート!殊にサムソン兄弟の「じゃあ僕ら誰と結婚すればいいんだよ」…ケイトの魅力が伺える煌めく賛辞のような言葉に胸がキュンとなる。
作品タイトル、ヴィネガー・ガールの登場場面も素敵。
ピョートルが、多くの男の子を魅了するバニーに魅力を感じていないことを示すため、母国のことわざを持ち出す。
「優しい人間には気をつけろ。砂糖は栄養がない」
「わたしの国ではこう言うけど。「蜂蜜のほうが酢よりも多くの蠅を捕らえられる」」
と言うケイトに、返すピョートルの言葉が、最高にスイート!
「だけど蠅なんか捕らえてなんになる、ん?答えてみて、ヴィネガー・ガール」
この箇所では、優しいにスウィート、砂糖にシュガー、蜂蜜にハニー、酢にヴィネガーのルビが振られている。
バニーの存在も助演賞級。ティーネージャのバニーの反抗的な態度が描かれることで、物語の登場人物たちが現実味を帯びる。父のルールに反抗し、父の言いなりに見える姉に意見するバニー。そしてピョートルがバニーに濡れ衣を着せた時には、ケイトが断固、撤回を要求する。そんなふうに家族間の不満と結びつきが、うまく表現されている。
偽装結婚で始まったケイトとピョートルの行方はエピローグで明らかに…。