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連載小説の時間感覚

多和田葉子の文と溝上幾久子の挿絵による「白鶴亮翅」の新聞連載が始まって、ひと月あまり。連載小説のリズムに乗ることの難しさを実感してる。
2月の連載初日の<Mさんの頼み事が何か聴かぬまま日本人らしき老婦人の助けに向かうシーン>の続きが、今日やっと登場した。1日1分足らずで読める文章量なので、本であれば半時間後にはストーリーが繋る。が、連載小説だと35日間の待機時間を要する。
読む量を自分でコントロールできないストレスを感じながらも、多和田氏の文章に触れたくて読み続ける日々。挿絵がカラーで掲載されるのは1/6くらいの割合なので、モノクロの日は画像検索で原画の色を味わう楽しみでストレスを軽減する。

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そして待ち時間を埋めるように、時折、多和田葉子の文と溝上幾久子の挿絵で日経に連載された「溶ける街 透ける路」を手にする。

1日1分の積み重ねで小説を読む、間隔たっぷりの時間感覚をつかんで最後まで読み通したい。ゆっくり大きな呼吸をして...。

# by lazygardener | 2022-03-10 07:52 | | Comments(0)

Anneの山彦

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アンの山彦が響くのを感じた。
先だってアンのドラマシリーズのトレビアに導かれてJane Eyreを聴いてElizabeth Klettの朗読に魅せられ、続いてA Little Princessも聴くことにした。と、その最終章にAnneが登場して、アンの山彦のようだとビックリした。

小学生の時に「小公女」と出会い、それから数年を経て妹がテレビアニメを観ていたのを一緒に何度か見、もちろん物語も大まかには覚えている。小公女セーラと記憶してたのを、朗読でSaraと教えられ、さらに忘却の彼方にあったAnneにも出会えたことが嬉しい。




そして、再びElizabeth Klettの朗読でAnne of Green Gablesを聴こうとした。が、数年前に朗読を聴いたAnneの声のイメージには敵わない...と投げ出すことになった。その時の朗読者の名を忘れてしまって再び探し出すことができないのが残念。

山彦といえばミス ラベンダーの山彦荘。未だ私がアンの年齢に近い頃に「アンの青春」を読み、ミス ラベンダーのようなおばさんになりたいと憧れたのを思い出す。本棚から村岡花子訳の「アンの青春」を取り出してきてミス ラベンダーを探し出して拾い読みした。静かな山彦荘に、こだまが届く光景を思い浮かべるだけで、うっとりする。山頂からヤッホーと声をあげるようなのではなく、錫の角笛や少女の笑い声のこだま。光景を思い浮かべると音色が聞こえるような気がする。

原文も目で追いたくなって”Anne of Avonlea”を開いた。章題Sweet Miss Lavenderを目にし、”sweetか…”、と心が甘やかにとろけていく。Echo Lodge、the little tin hornの村岡花子訳の妙技を改めて感心しながら21章を読み終え、夢心地に浸っている。



# by lazygardener | 2022-03-07 18:15 | | Comments(0)

テレビドラマシリーズANNE WITH AN "E"『アンという名の少女』を紹介するNHKのページの充実度がすごい。IMDbでも紹介されているtriviaを更に丁寧に解説して、このドラマの魅力の奥深さを、じっくり教えてくれる。

そんな素晴らしいトリビアに導いてくれたのは、マリラがアンの16歳の誕生日に作ったこの↓ケーキ。

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あまりにもチャーミングで画像保存したくなったのが、きっかけだった。原作のアンは誕生日が5月であれば良かったのにと嘆くが、こんな素晴らしいケーキを贈られたら3月に生まれて良かったと思わずにいられないだろう。スノードロップを見るたび、アンのケーキ(ケーキを差し出す前のマリラとマシューのソワソワと幸せな表情も!)を思い浮かべて心がぽっと温かくなる。中央の花がヒアシンスらしいことに気づいて更にケーキが香り立った。

アンの原作をダイヤモンド原石として、素晴らしいカットと磨きでゴージャスな煌めきを与えてくれた、このドラマシリーズに心からの感謝を捧げる。

そのトリビアでL・M・モンゴメリがブロンテ三姉妹の愛読者であったことを知った。シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』と『赤毛のアン』にはたくさんの共通点があるという。

早速、Audio BookでJane Eyreを聴くことにした。Jane Eyre10才が遭遇する児童虐待の酷さに胸を痛めながらJaneの成長を見守る。孤児、偽名で名乗ること、石板、友の死、就職、自然描写、紆余曲折の恋など、モンゴメリがアンの物語に用いたモチーフが見つかる。だがモンゴメリを何よりも惹きつけたのは、19世紀の英国の家父長的な社会体制の中で求められている女性像を超えようと強い向上心を持って生きるJainの逞しさと宗教観だったのではと思う。

ブロンテ姉妹がいずれも男性の名を用いて作品を発表した時代背景を考えると、遺産相続のお陰で、誰の庇護も仕事の必要性もなくなり、自己決定権を獲得してRochesterと再会することの意味は、お姫様物語やラブストーリーを超えている。Janeの "I am an independent woman now."の誇らかな悦びに満ちたセリフが燦然と煌めく。

生徒として学んだLowood校で教職に就き、やがて見聞を広めるためThornfield屋敷の家庭教師へ転職。生徒Adèleはフランス語を母語とする少女。屋敷の主人Mr. Rochesterは機知に富むが、現在なら間違いなく犯罪者。精神を乱した妻を監禁し、重婚を図るなど許し難い。だがJaneの本質を見抜き理解し、ずっと帰属場所を持たずに生きて来たJaneに"wherever you are is my home—my only home"と言わすほど彼女の心の拠り所となる。Rochesterの妻の存在が明るみにされ結婚式が中断してJaneは辛い別れを決意して屋敷を出る。そして彷徨い野宿し食べるものを乞い衰弱したところを牧師と姉妹に助けられ再び教職にも就く。やがて叔父の遺産を受け取って転機が訪れる。仕事を辞め、Thornfieldを訪ね、火災でRochesterは大怪我をし妻は亡くなったことを知る。そして結婚。波乱に満ちたJaneの物語は、終章まで読者をハラハラさせっぱなしだった。

ところで、ANNE WITH AN "E"シーズン1の各エピソードタイトルはCharlotte Bronte "Jane Eyre"(1847)の引用とのこと。トリビアに示されている章を参考に、原文と照らし合わせてみた。

第1回、第2回 「運命は自分で決める」 Your Will Shall Decide Your Destiny  
第3回 「私は罠にはかからない」  I Am No Bird, and No Net Ensnares Me

この2つは第23章でRochesterがJaneに求婚するシーンに現れる。Rochesterが他の令嬢と結婚すると思い込んでいるJaneは、Rochesterに屋敷に留まるように言われ、出ていくと頑なに主張する。

“Jane, be still; don’t struggle so, like a wild frantic bird that is rending its own plumage in its desperation.”
I am no bird; and no net ensnares me; I am a free human being with an independent will, which I now exert to leave you.”
Another effort set me at liberty, and I stood erect before him.
“And your will shall decide your destiny,” he said: “I offer you my hand, my heart, and a share of all my possessions.”

第4回 「若さとは強情なもの」  But What Is So Headstrong as Youth?  

22章でJaneが伯母の葬儀を終えて屋敷が近づくにつれ嬉しさと切なさに包まれる。Rochesterが結婚すれば、屋敷を出ていかなければいけない。
でも、「若さとは強情なもの」 たとえ片想いであってもRochesterと過ごせる残り少ない時間を満喫しようと帰路を急ぐ。

But what is so headstrong as youth? What so blind as inexperience? These affirmed that it was pleasure enough to have the privilege of again looking on Mr. Rochester, whether he looked on me or not; and they added—“Hasten! hasten! be with him while you may: but a few more days or weeks, at most, and you are parted from him for ever!” And then I strangled a new-born agony—a deformed thing which I could not persuade myself to own and rear—and ran on.

第5回 「宝物は私の中に」  An Inward Treasure Born  

19章で女性占い師に扮したRochesuterがJaneの顔占いをしてJaneの心の内を代弁する;
「自尊心と状況が求めれば一人で生きられる。幸福のために魂を売ることはできない。「宝物は私の中に」。外から来る悦びが阻まれようが得がたいものであろうが私の中の宝こそが生きる糧だ」と語っている、と。

… brow professes to say,—‘I can live alone, if self-respect, and circumstances require me so to do. I need not sell my soul to buy bliss. I have an inward treasure born with me, which can keep me alive if all extraneous delights should be withheld, or offered only at a price I cannot afford to give.’

第6回 「固く結ばれた糸」  Tightly Knotted to a Similar String  

第1回、3回のタイトルと同じく第23章のRochesuterの求婚シーンで、Janeの誤解をそのままに、「固く結ばれた糸」を感じると意味深なことを言う。

“I sometimes have a queer feeling with regard to you—especially when you are near me, as now: it is as if I had a string somewhere under my left ribs, tightly and inextricably knotted to a similar string situated in the corresponding quarter of your little frame.

第7回 「後悔は人生の毒」  Remorse Is the Poison of Life  

第14章、RochesterがJaneと話す場面。18歳の頃はどんな風だったかというJaneの問いかけにJaneのように無垢だった、と答える。
が、後に犯した失敗を悔いている。そしてJaneに、不正に惑わされた時には後悔を恐れよと言う。「後悔は人生の毒」だと。

Dread remorse when you are tempted to err, Miss Eyre; remorse is the poison of life.

第8回 「あなたがいてこそ我が家」  Wherever You Are Is My Home  

第4回のタイトルと同じく第22章。伯母の葬儀を終えてThornfieldに帰りつくと戸外に居たRochesterに声をかけられる。
Janeは衝動的に「あなたがいてこそ我が家」とRochesterのもとに帰って来た悦びを伝える。

“Thank you, Mr. Rochester, for your great kindness. I am strangely glad to get back again to you: and wherever you are is my home—my only home.” 

続くシーズン2各話の副題はジョージ・エリオット『ミドルマーチ』、シーズン3はメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』からの引用とのこと。いずれも19世紀イギリスの女性作家の小説だ。

ケーキから教わったこと、もう一つ。
マリラを演じるGeraldine Jamesが古くはGandhi (1982)に最近ではDownton Abbey (2019)で女王を演じた人だと。素敵なGeraldine Jamesがマリラの魅力を最大限に引き出してくれる。

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# by lazygardener | 2022-02-21 08:25 | Comments(0)

絵の模様替え

季節ごとに額絵を替える作業は、少し面倒だけど心愉しい。何枚かの絵を入れ替えるだけで不思議なくらいにウキウキする。大きな額絵はもちろん、ポストカード1枚でも季節感に似合いそうなものに替えると、空間がリフレッシュ。どの絵にしようかなと選ぶひと時も楽しい。

窓から差し込む光があふれる中で、ルドゥーテの優しい色合いのバラが匂い立つ。庭の霜焼けしたピンクのバラの花の美しさを心の中で重ね合わせながら絵を見る。

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一方で、ずっと飾りっぱなしのもある。数年前に知人から譲り受けたタピエスのポスターは、時折、置き場所を変えるだけ。抽象絵画の最大のメリットは飾りっぱなしにしても違和感が少ないことだと思っている。<見る目>によって、絵の見え方が違ってくるので、飽きることはない。このポスター画のタイトルを知らないことも功を奏しているのかもしれないが、節分の頃には赤鬼に、バレンタインデーが近づいてきた今はLove&キスマークが見える。棕櫚縄で作ったハート飾りを絵の前にあしらって、勝手な解釈を膨らませて遊んでみる。もしロールシャッハテストのように分析されたら「独断的」とか「妄想癖」と評されるだろう…。それ以前に、アートの理解力ゼロを指摘されるだろうが。

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抽象画と同じく、飾りっぱなし傾向のドライフラワー飾り。お掃除ロボの立ち入り禁止地区で、ホコリがつもる一方のドライフラワーコーナーの掃除もかねて、時折の入れ替えを心がける。新旧交代を図ったり、季節のエッセンスをほんの少し加えてイキイキ息吹を感じられるように。


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季節ごとの入れ替えの楽しみは、子どもの着せ替え人形遊びにも似ている。遊びのパワーは際限なく続く。しかも、効率的なインテリアの模様替えができるのも嬉しいこと。


# by lazygardener | 2022-02-09 09:40 | 暮らし | Comments(0)

昨年10月から12月に放送された、NHKカルチャーラジオ 文学の世界「大伴家持と万葉集」を聞き逃し配信で全13回、受講し終えた。最終回で取り上げられたのは、『万葉集』最後の家持の歌。

天平宝字三年、正月一日、因幡の庁にて、国司郡司らに饗を賜ふ宴の歌 一首
  
 新しき年の初めの初春の けふ降る雪の いや重け吉言

新年を迎える賀の歌の定句「新しき年」の読み、(あらたしき)に心機一転の心意気を強く感じる。
元日と立春が重なった年であることから「年の初めの初春」。太陽暦と太陰暦のずれによって、年内に立春、年が明けてから立春という年もあり、重なる年は稀なこと。暦の重なり、雪の降り重なりに良いことの重なりを祈る賀の歌。

教科書にも載り、誰もが知る有名な1首だが、講座を聞きおえた今、ドラマチックな物語が歌の周辺に広がる。映像化するなら、美しい散らし書きの歌のズームから始まって、家持の幼少時から老年、死後へと描かれていくような感覚。

正月の雪は吉兆とされるが、歌の言霊によって吉兆に変えるという意識もあったのでは、と、講座で鉄野昌弘教授は話された。

聖武天皇崩御の翌年の正月に葛井諸会が詠んだ歌が、例の一つにあげられた。

 新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは

新年の雪を吉兆であると詠んでいるが、前年の飢饉や天皇崩御など惨憺たる年に続く正月に降り続く雪。祈りにも似た心境だったのでは、と。

そして、新春、まして立春に雪が降るという季節の逆転を「豊作のしるし」と考えたとは思えない。言霊の力で良い現実を導こうという考えがあったのでは、という教授の指摘が腑に落ちる。

 新しき年の初めの初春の けふ降る雪の いや重け吉言

この歌を詠んだ頃の家持は失意の最中にいる。藤原仲麻呂の策略で橘諸兄が失脚し、聖武天皇崩御後、奈良麻呂の変を経て仲麻呂が絶大な権力を得る。大伴一族は粛清され、家持も左遷されて因幡の守に任じられる。そのようにして迎えた正月に詠まれた歌。げん直しの歌として「よい年でありますように」という切実な祈りを込め、寿ぎの歌を、自身だけでなく国全体に向けて詠んだ。

家持が歌人として存在できた時代、政治に関わり中納言まで地位を上げていった家持の2面性にも言及された鉄野教授のご案内によって、歌人名に留まることなく、現実に生きた家持の心の内を覗く幻想を抱くほどに、万葉歌を生き生きと楽しむ機会を頂いたことをありがたく感謝する。

今日は1月晦日。<新しき年の初めの初春の>年には、大晦日と節分が一緒にやって来たんだな...と思いうかべる。年末の追儺の鬼やらいが節分の行事へ引き継がれたのは自然なことのように思える。太陰暦が追いやられ太陽暦の独擅場となって、新しき年、立春の順が確定された今、1200年の時空を超えて遠く万葉の時代に思いを馳せながら、節分飾りを始めた。水仙の馥郁たる香りに、福を重ねあわせ、oniのO にオミクロンを重ね合わせて、一日も早いオミクロン退散を切に願いながら...。


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# by lazygardener | 2022-01-31 15:55 | 暮らし | Comments(0)