2023年 04月 11日
新潮選書のコンパクトな本に、ぎっしり詰め込まれた濃厚な内容に驚き、圧倒され、そして感激する。(読み終えても、繰り返し頁を繰りたくなる衝動にかられ、感激は現在形を保つ)
「ディストピア」「ウーマンフッド」「他者」の3章構成で、現代社会に直結する文学が次々に解説される。
先ず、取り上げられるのは、ジョージ・オーウェル「一九八四年」。
私が「1984」を読んだのは1984年を既に20年ほど経過した頃だったが、「現社会」に通ずる不気味さを感じた。それから更に20年近く経過した今、スノーデンの内部告発など警告は至る所で発せられながらも「1984」が現実となっている。オーウェルが「1984」を執筆したのは1949年。まさに「文学は予言する」だ。
マーガレット・アトウッド「侍女の物語」が「オーウェル「1984」を念頭において書かれたことを知ると、代理懐胎が容認されつつある現実の不気味さが増してくる。
ディストピアがユートピアの拡張概念であることを本書で教わったおかげで、今まで「ディストピア小説」の区分がモヤモヤしていたのが、一気に晴れた。
1994年に小川洋子「密やかな結晶」を大江健三郎氏が緩いファンタジーと評した文芸時評が引用され、大江氏の評が時代的な読み違えのようにも書かれているが、こと大江氏のように現実社会に真正面から向き合った文壇の目からすれば、小川氏の小説の緩さに物足らなさを感じたのではないかと、大江氏を擁護したくなる。
翻訳による後熟という語を用いて、たとえば、小川洋子「密やかな結晶」が「The memory police」に翻訳されることによって多角的な視点の広がりが生まれ、原著もまた、これまでの視点とは異なる視点で読まれるようになると鴻巣氏は語る。あたかもブレンドしたウイスキーの風味を向上させるために瓶詰前に再び貯蔵する後熟のような効果が翻訳によって醸し出されると。流石は優れた翻訳家の観察眼、そして表現だと感心した。
第一章で心底恐ろしいと感じたのは、梵書さながらのアメリカの図書撤去。撤去要請のリストを見ると寒気立つ。事実は小説よりも奇なり。
本書に上げられる本には未読のものも多数あって、読みたい小説が山積みになってくる。
いとうせいこう「小説禁止令に賛同する」
小川洋子「密やかな結晶」と「The memory police」
村田沙耶香「コンビニ人間」 等など。
一方、私も敬愛する多和田葉子氏の作品が取り上げられると、全く気づかずに読んでいた“からくり”を見せられて、鴻巣氏の視点の鋭さに感心させられる。「星に仄めかされて」でヴィタが語る「ララルスフォントリリア」はラース・フォン・トリアー監督のもじり、病院は同監督によるドラマ「キングダム」のパロディだろうと、さらりと解説される。鴻巣氏が網羅する世界の広さを想像するだけで目がくらむ。
読み終えて目次を追い、ピックアップしたページを再読。挙げられた小説や映画のチェック。鴻巣氏の知識の渦の中で心地よく、もがいてる。
本書の刊行に先立って「考える人」に昨年2022年7月21日から連載されていた<文学は予言する>も必読。
備忘録、または図書リストとして<文学は予言する 目次>をのせておく。
はじめに第一章 ディストピア1 抑圧された世界――ディストピア小説のいまユートピアとディストピアは表裏一体/リバイバルヒットするディストピア小説たち/ディストピア三原則/一、「国民の婚姻・生殖・子育てへの介入」/二、「知と言語(リテラシー)の抑制」/三、「文化・芸術・学術への弾圧」/「SF」から「やさしい日常」へ――ヴェルヌから川上弘美まで/一九一八年のフェミニズム・ディストピア/産む権利、産まない権利――セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ/「かがやく子ども」のディストピア2 『侍女の物語』の描く危機は三十五年かけて発見された当初は「あり得ない世界」だった/だれも信じなかった管理監視社会/アメリカの行方を変える中絶禁止法/被害者が沈黙させられる国家/もはや空想物語ではない3 大きな読みの転換――『侍女の物語』と『密やかな結晶』続編『誓願』はなぜ対照的な作風なのか?/一九九四年の大江健三郎評/翻訳による「後熟」が起こった/ファンタジーとディストピアの違い4 拡張する「人間」の先に――ポストヒューマニズムとAI小説『わたしを離さないで』が開いた地平/人に似せた創造物――『フランケンシュタイン』から『クララとお日さま』まで/人間の「生」の継続とは?/個人データという「魂」/「いいね」元年のSNSディストピア小説5 成功物語の限界――メリトクラシー(能力成果主義)という暗黒郷貴族社会と能力主義社会、どちらを選ぶ?/アメリカン・ドリームの終焉/自由の国アメリカの皮肉/東アジアのメリトクラシー――平野啓一郎、チョ・ナムジュ/「縦の旅行」をする6 もはやリアリズムとなったディストピアアメリカの図書館を襲う「撤去要請」/ディストピアに巻き込まれるディストピア小説たち/作家への弾圧――『小説禁止令に賛同する』/「散文」のもつ威力とは? 近代小説の誕生/『ジュリアス・シーザー』が発揮した情報戦争とナラティブ戦略/リアリズムで書かれたディストピア――『日没』第二章 ウーマンフッド1 舌を抜かれる女たち『オデュッセイア』から続く口封じ/「声を聞かれる基本的権利」2 男性の名声の陰でファム・ファタールというからくり/女性を型にはめる「聖と魔」理論――ゼルダ&スコット・フィッツジェラルド/精神的吸血鬼はどちらか?3 シスターフッドのいま「少女」はいかに誕生したか/『らんたん』が照らすシェアの精神4 雄々しい少女たちの冒険教育目的としての十八世紀「娘文学」/男性作家と女性作家が描く少女の“brave”/女はおろかで賢く、か弱くて強くあれ――『ファウスト』と『風と共に去りぬ』/超常世界と通じあう不思議少女の力/村上春樹が新訳した少女文学の現在形5 からだとケア労働ルッキズムと身体への侮り――ウルフから松田青子まで/代理母出産する側、させる側/オースティンの家庭小説は「視野が狭い」?/第二の性が支えてきた「第二の経済」6 文学における女性たちの声谷崎、川端、三島の時代は、いまや遠く/ポスト春樹の活躍/世界が注目する「生きづらさ」――『コンビニ人間』『夏物語』/女性の声を世界に届ける翻訳第三章 他者1 原作者と翻訳者の無視できないパワーバランスアマンダ・ゴーマンの奇跡の詩/公共の場が育てた才能/「代弁者の資格」とは?/「黒人・女性」の「英語話者」――翻訳の政治性2 パンデミックの世界に響く詩の言葉二〇二〇年のノーベル文学賞/ペスト時代のロンドンでベストセラーになった詩集とは/アメリカで隆盛するアンソロジー/英米「詩小説」の秀作たち3 リーダーの雄弁術知性と理性を示すスピーチの力/オバマの演説を支える読書リスト/情動に訴えたトランプの「地下室の言葉」4 盛りあがる古典の語り直し「古典」は「古典」として生まれない/世界で盛んな「リトールド」――『イーリアス』も古事記も/審問としての語り直し5 ますます翻訳される世界――異言語と他者性のいま国際文学賞候補作の多様性/翻訳の営みを更新した『世界文学とは何か?』/戦争とは誤訳の極端な継続にほかならない――『翻訳地帯』/英語一強主義への抵抗――『生まれつき翻訳』/「オリジナル」がない小説たち/英米圏で翻訳者が隠される「言語的不均衡」/「大文字の文学」をひっくり返す試み/非母語の作家で英語世界は豊かになる6 多言語の谷間に――多和田葉子『献灯使』の描く反・反ユートピア/思索の遊歩者――『百年の散歩』/離散者(ディアスポラ)の言語――『地球にちりばめられて』三部作/ズレ、ヌケ、ボケの術/誤訳のポエジー/ネガティヴ・ケイパビリティがひらく境地/峡谷に留まる詩人/完結しない旅――「おくのほそ道」7 日本語の来た道――奥泉光近代日本語の歴史をたどりなおす『ビビビ・ビ・バップ』/反省しない日本の総括――『東京自叙伝』/翻訳を通してつくられた文体の頂点『雪の階』/日本語が内包する多言語的高揚感8 小説、この最も甚だしい錯覚小説は他の芸術とどう違うのか?/インクの染みが人間に見える「錯覚」/文学とは最も似ていない物真似(ミメーシス)/「みたい」(模倣)をめぐる小説『オン・ザ・プラネット』/作為性の排除は可能か?/アート=擬態は記憶の保管/補完9 アテンション・エコノミーからの脱却――それは他者と出会うことなぜ青年はヘイトにはまったか?/『何もしない』ために/宙づりの時間を楽しむ/抵抗する人びと/文学がもつ遅効性の言葉/自撮りのような「読書」から離れておわりに主要参考文献一覧索引
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by lazygardener
| 2023-04-11 07:24
| 本
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