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『騎士団長殺し』第一部「顕れるイデア編」を読んで

村上春樹『騎士団長殺し』の第一部「顕れるイデア編」を読み終えた。
2月に本屋に山積みされた本。
ハルキストでは無いが、久々の長編小説が気になった。
図書館の長い予約待ちを経て漸く2週間前の土曜日に受け取った。

これまで以上に作品を愉しめたのは、
恐らく「英語で読む村上春樹」によって培われた、
村上ワールドに入り込む筋力のおかげという気がする。

プロローグ、顔のない男の描写でマグリットの絵が思い浮かぶ。
そしてストンと村上ワールドに落ちた。

『グレート・ギャツビー』を思わせる舞台設定によって、
屋敷の主を主人公と共に思い描く愉しさ。
舞台設定や登場人物にデジャブを感じるたびに、
『騎士団長殺し』が実際の描写を超えて増幅されていく。
免色という名は「色彩を持たない多崎つくる」との関連を、
騎士団長(イデア)には踊る小人、TVピープル、緑色の獣、リトル・ピープルが重なる。

第一部の終盤、
ヒトラー政権下の収容所のユダヤ人写真家の声が太字で記されるのは、
源氏物語の「雲隠れ」の段のインパクトのよう。
続編の存在が明らかにされながらも、
第一部はバッサリと斬り落とされて、
文章化されない「無」や「闇」に視点を向けさせられる。

アンシュルス、クリスタルナハト...
歴史の傷跡はヒトが人種や国境の違いを超えて深層に持つ闇に思える。
「壁と卵」の比喩でイスラエルを批判したのは決して限定した矛先ではない。
ナチズムの蛮行とガザに対するイスラエルの所業は同じ闇から出たもの。
戦時中の日本軍による様々な蛮行も根は同じだと思う。


by lazygardener | 2017-07-01 08:18 | | Comments(0)